東京家庭裁判所 昭和44年(家ロ)30号 審判 1969年10月23日
申立人 岩井茂(仮名)
主文
東京家庭裁判所昭和四一年(家)第一〇、〇九九号遺留分放棄許可申立事件について、昭和四一年一一月二九日当庁がなした許可の審判を取消す。
理由
一 本件申立の要旨
1 申立人は、被相続人岩井英夫と亡玲子との間の二男として生まれ、英夫の後妻の岩井由理子と昭和三三年四月八日養子縁組をした。
そこで、申立人は由理子の財産(当時約一億円と評価されていた)に対する相続権があつたので、被相続人英夫の財産については同人からの希望もあつて、推定相続人数名の内申立人がただひとり相続開始前に遺留分放棄をすることとし、その旨の申立(東京家庭裁判所昭和四一年(家)第一〇、〇九九号〕をし、昭和四一年一一月二九日、その許可の審判を得た。
ところが、申立人は岩井由理子との間で、昭和四三年七月一一日、なんら財産の分配を受けることなく、協議離縁した。そうして岩井由理子は、昭和四四年二月四日死亡し、被相続人英夫については、まだ相続は開始されていない。
2 こうして、上記遺留分放棄の前提であつた事実に関し、事情の変更があつたことになつた。
3 そこで申立人において、もはや被相続人の財産について、その相続開始以前に遺留分を放棄する理由がなくなつたというべきであるから、上記審判の取消を求める。
二 申立人および被相続人の各審問の結果、東京家庭裁判所調査官石山勝己の調査の結果ならびに当庁昭和四一年(家)第一〇、〇九九号事件の記録に綴られた各資料によれば、上記一1の事実が認められる。
してみれば、申立人が上記審判を申立てたときは、真実被相続人英夫の相続開始以前において、遺留分を放棄する意思で申立てたものであるが、その後申立人主張のとおりに事情が変更したことの明らかな現在において、申立人が既にその意思をひるがえして、遺留分放棄の意思を有しないことが明らかとなつた以上、相続の開始された場合ならいざ知らず、いまだその開始前である本件にあつては、遺留分放棄の状態を維持する必要はいささかもないというべきである。
すなわち、相続開始以前の遺留分放棄の制度自体が、旧民法のもとでは無効と解すべきものとされていたところ、現行民法において新たに設けられた規定であるが、相続開始以前においては相続権の放棄が許されないのに対比して考えれば、安易に遺留分放棄を許せば、民法の平等相続の原則を、不合理、不公正に破壊することになりかねないところである。そこで、遺留分放棄許可審判に際しては、その放棄が真意に出たものであるかどうかおよび放棄するに至つた実質的の理由の合理性の有無を慎重に確かめる必要があると解せられている。つまりその放棄はみだりに許されるべきでないといわなければならない。
そうして、相続開始前の遺留分放棄の状態は、継続的法律関係の設定であるとはいいにくいが、明らかにその理由とする基礎的前提事実関係が変更し、その変更が極めて明らかである場合は、遺留分放棄許可はもはや実情に適しなくなつたものであつて、かえつて実情に合致させる措置をとることが要請されると解すべきである。従つて、事情が変更した結果、現在その意思のなくなつた相続人を、なお遺留分放棄の状態に留まらせる必要は少しもなく、むしろ、その状態を旧に復すべきである。
これは、被相続人が遺留分を有する推定相続人の廃除(この廃除も、実質的には遺留分の権利を奪うに等しいと解される)を求めた後、法律上の原因もしくは特別の事由を必要とせず、その廃除の取消を被相続人の側からは求めうることに比べて、十分理由のあるところと解される。
よつて、事情の変更によつて、上記審判を取消すこととし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 田中良二)